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特集

どれどれド級、超ド級(3ページ目)

(2015年5月10日)

1ページ目2ページ目からの続きです。

一人歩きし始める「超ド級」

ここで本艦は針路を少し脇道に取る。本来の意味を外れ、けたはずれなものに冠せられる用法の「超ド級」(超弩級)が、いったいいつごろから使われ始めたのか、調べてみたい。(お急ぎの方は4ページ目へどうぞ。)

『日国』の用例

1ページ目では省略したが、『日本国語大辞典』には用例が掲載されている。派生用法としての「超弩級」の古い用例は、1932(昭和7)年の『現代語大辞典』であった。

*現代語大辞典(1932)〈藤村作・千葉勉〉「ちょうどきゅう 超弩級〈略〉一般に非常に優秀な、何物をも恐れぬものをいふ。『超弩級列車』」 12

「何物をも恐れぬ」という語釈は英語のdreadnoughtからきているように思われるが、とりあえずここが出発点である。辞書に掲載されているということは、それ以前からそのような用法があったということだろう。

超弩級大天狗

天狗
写真はイメージです。

いきなり大物登場である。今回見つけられたもっとも古い派生用法は、『ドグラ・マグラ』等で知られる夢野久作の作品「謡曲黒白(こくびゃく)談」であった。この作品は雑誌『黒白』の1917(大正6)年3月号から翌年2月号にかけて連載されたもので、習作時代の第一作だそうだ。「超弩級」が登場するのはそのうち「謡曲嫌いの事」と題された一篇。

けれ共何とかして謡曲の御利益を納得させて、あわよくば一曲御所望を云わせてやろうと思う甲種熱心家が「でも高尚ではありませんか」と切り込むと、その返事は大抵「でもあの声が……」と来る。ここに到って並大抵の天狗〔てんぐ〕様ならば一遍にギャフンと参いって〔ママ〕、それなり生唾を飲み込んで我慢するところであるが、併〔しか〕し慢性の超弩級大天狗になるとこれ位の逆撃は然〔さ〕して痛痒〔つうよう〕を感じない 13

引用が長くなったが、これは謡曲嫌いの人に反撃する「熱心家」のことを言った箇所である。「並大抵の天狗様」に対する「超弩級大天狗」という言葉でその差を表現している。超ド級戦艦が登場したのは1912年のオライオン級からだそうなので、遅くともわずか5年で派生用法が誕生していることになる。

超弩級輪転

次に見つけられた派生用法は、1925(大正14)年6月の新聞記事。さきの引用は新奇な表現であった可能性もあるが、新聞に登場しているうえは、一般性を得てきたのだろう。

超弩級の男
「超弩級輪転 14

一時間に160万部を刷り上げる英国マンチェスター市の輪転機紹介記事である。今でいえば、スーパーコンピュータを紹介しているようなものだろうか。下に紹介する同時期の広告でも「超弩級」の表現があるので、この時点で既に新奇な表現ではなかったことがわかる。それにしても右からの横書きは読み慣れない。

超弩級の男

つづいてご紹介するのは、同じく1925(大正14)年8月の新聞広告である。

超弩級の男
「超弩級の男 15

浅草の日本館という映画館の広告だ。丸ゴシックで「超弩級の男」という題。見づらいので、文章も写しておく。

女にや甘いが豪勇無双の快男子チヤーリイ必死無茶苦茶の猛闘/ユージーン・オブライエン氏宇宙突破的力演/超弩級の男五巻

…見たい。何しろ「宇宙突破的力演」である。ユージーン・オブライエンは往年の名優だそうだが、元の映画が何であるのか分からなかったのが悔しい。「超弩級」というのがsuper-dreadnoughtの訳語であるのか、日本人が独自でつけた題であるのかが分からないからだ。

超弩級作家

時代は昭和へ。1932(昭和6)年に出された山崎映城氏の『俺は生きてゐた』という詩集は、発行者が「全日本超弩級作家聯盟」である。おくづけの「アメーバ藝術聯盟」も気になるが、詳細は全く分からなかった。

『俺は生きてゐた』扉
 16
『俺は生きてゐた』おくづけ
おくづけ 16
手をつないで!
黒白の画像が続いてしまったので
角刈りの男性をどうぞ。

さまざまに使われる「超弩級」

ここからはスピードアップ。昭和初期の新聞記事ではたびたび「超弩級」という言葉が使われるようになる。

メジャー・リーグ
メジャー・リーグ(昭和6〈1931〉年)17
相撲
相撲(昭和8〈1933〉年)18
将棋
将棋(昭和10〈1935〉年)19
フィギュアスケート
フィギュアスケート(昭和11〈1936〉年)20

やはりスポーツが多いような気がする。フィギュアスケートはこの時期すでに楽しまれていたのですね。そのほか、新語辞典・現代語辞典・流行語辞典の類にも、昭和ひとけた代から「超弩級」の派生用法が掲載されている。

簡単にまとめておくと、このようになる。

▼大正6年にはすでに「超弩級」の派生用法が使われている。

▼大正末期ころには新聞で使われるほど市民権を得てきたか。

▼昭和初期にも着々と使用されるがスポーツ関係が多いか。

▼同じころ、新語辞典の類に掲載される。

 

お疲れ様でした。次のページでは、ド級さがしに戻ります。

ドトールコーヒー
ドトールコーヒーで少し休憩

 

【このページの注】※番号をクリックで本文に戻ります。

  • 12 日本国語大辞典第二版編集委員会、小学館国語辞典編集部(編)『日本国語大辞典』第2版、第9巻(小学館、2001年)、89頁。
  • 13 夢野久作「謡曲黒白談」。ここでは、『夢野久作全集』11(ちくま文庫、1992年)、386頁によった。
  • 14 『読売新聞』(読売新聞社、大正14年6月3日)、朝刊4面5段、国立国会図書館蔵、許可を得て掲載。
  • 15 『東京朝日新聞』(東京朝日新聞社、大正14年8月21日)、夕刊3面5段広告、国立国会図書館蔵、許可を得て掲載。
  • 16 山崎映城『俺は生きてゐた』(全日本超弩級作家聯盟、昭和6年)、国立国会図書館蔵、許可を得て掲載。
  • 17 『読売新聞』(読売新聞社、昭和6年9月5日)、朝刊7面1段、国立国会図書館蔵、許可を得て掲載。
  • 18 『読売新聞』(読売新聞社、昭和8年1月20日)、朝刊5面1段、国立国会図書館蔵、許可を得て掲載。
  • 19 『東京朝日新聞』(東京朝日新聞社、昭和10年11月21日)、朝刊7面1段、国立国会図書館蔵、許可を得て掲載。
  • 20 『東京朝日新聞』(東京朝日新聞社、昭和11年3月6日)、朝刊4面1段、国立国会図書館蔵、許可を得て掲載。

 

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