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2015年8月分(↓日付をクリックで移動)

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描写 (2015年8月8日)

音声による情景描写に弱い。

たとえば、相撲や野球はラジオで聞くほうが好きである。今はテレビを見られない環境にあるからラジオばかりだが、テレビがあるときもわざとラジオで聞くことがあった。相撲中継などはテレビの音声を切って画面を見ながらラジオを聞いていた(すこしずれるのが難点)。

これは何しろ視覚的なものを声で描写しているのを聞きたいからである。たとえば、今真っ盛りの高校野球であれば、「○○高校の攻撃に移ります。4番ファーストの佐藤、純白のユニフォーム、胸には紺のローマ字で○○の文字、銀色のバットを持ってゆっくりと左打席に入ります。183センチと大柄な佐藤、ベース寄りに立った。ピッチャー鈴木、ノーワインドアップモーションから、佐藤に向かって…、第一球を、投げた!」という具合だ。

入ってきた情報を既存のデータと混ぜ、聴取者にわかりやすく伝える、しかもそれを瞬時に行わなければならない、というのは驚愕の技術だと思う。さらに、そうして伝える際に専門的な目が必要だというのも尊敬すべき点だろう。横にスタッフがいるとしても、素人ならばその場で「アウトサイド低めスライダー、ボール!」とか、「すくい投げー! 朝青竜の勝ちー!」などと言えるものではない。

入ってくる情報も視覚だけではなく、「選手たちは一球ごとにアンダーシャツで汗をぬぐいます。放送席にいる私たちにも熱風が感じられます。」だとか、「三塁側スタンドからは指笛と大きな歓声、緑色のメガホンが揺れます。」だとか、アンテナを張り巡らせておかなければならないのである。

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NHKの「紅白歌合戦」や「思い出のメロディー」などはテレビと同時放送である。こういったとき、ラジオの放送では司会者のほかに実況役がいる。歌が間奏に入ったところで「小林旭さんは白いスーツの上下にオレンジ色のネクタイ、にこやかな表情でお客さんの拍手に応えます。」など、ラジオの聴取者だけに向けた音声が入るのだ。

これを聞くとき、どうしてもはっとしてしまう。単なる映像の代替というには惜しい、テレビとは別種のエンターテインメントだと思うのだ。

昔の「前畑ガンバレ、前畑ガンバレ」などは、その役割を一瞬忘れてしまったような(計算かもしれないが、)ところが魅力なのだと思う。

ラジオドラマの効果音が実際の音ではなく作り物であることがあるように、小林旭が笑顔を見せているのも観客の拍手に応えているかどうかはわからないのである。(昨日食べた守口漬、おいしかったな)かもしれないのだ。

メディアというものは何であれそういうものだと思うが、ラジオ中継はアナウンサーの技術によるところが大きいのが面白い。

「何であれ」と書いたのは、例えば映像であっても、大昔の野球のフィルムなどを見ると状況がつかみづらいからである。横からのアングルであったり、スイッチングがなかったり、PCカメラ(ピッチャー・キャッチャーを一画面で捉えるカメラ)がなかったりするからだ。「ピッチャー正面」→(投げる)→「PCカメラにスイッチ」→(打つ)→「上から広範囲をとらえて打球の行方を追う」などの一連の文法のようなものが、見る側にも染みついている。投げる瞬間に野手や一塁塁審などが映ることは極めて稀だと思う。

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最近、本欄が「短信」のくせに長いのがまずいと思っている。

まんじゅうと卵焼き (2015年8月15日)

三日間だけ入院していた。これは検査のためで大したことではないのだが、やはり面倒なものである。大学病院だったので状態のいい人は少なく、同室の患者さんたちも大変そうであった。

左隣の病床の人は東北の人らしかった。面会のご婦人との方言での会話や高校野球で三沢商業を応援していたことから、そう推察している。この人はよく「まんじゅうが食べたい」と言う。

右隣の病床の人は固形物が食べられないようであった。この人は何かにつけて卵焼きのことを口にする。

二人とも初老の男性で、私は勝手に辛くなるからあまり病室にはいなかった。よくなってほしいと思う。

大部屋の入り口には名前が書いてあるが、隣の病室の名前をふと見ると「前田敦子」さんがいらっしゃるようだ。どんな人かは存じ上げない。

私の検査結果は来月初旬まで分からないそうだ。

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古い歌が好きなので、自分でもそんなものが書けるのではないかと思ってふざけて書いてみたが、当然うまくいかない。

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「軽自動車」

一、
黄色いプレート とまどいを
乗せて小箱が 走り出す
クーラーの風 弱めてと
言えぬ二人の 間柄

カーブを 曲がるたびに
坂道 登るたびに
スティグマ打ち払う 言葉が
欲しくなってしまう

弱いわたしと 強いあなたは どこへ向かうの

 

二、
ためらいが嫌で 火をつけた
煙草を見ても 円柱の
灰皿はまだ 渡されず
窓をおずおず 下げてみる

揺れてる お守りにも
シフトレバーの ほこりにも
目をやらずにいるための 言葉が
欲しくなってしまう

残暑お見舞い 申し上げます 自転車の人

 

三、
やっと入った コンビニの
トイレで少し 壁を見る
硬いシートで 睦むのか
まばたきはいつ するべきか

はしゃぎ方を知らない
わたしが 悪いけれど
せめて助け船の 言葉が
欲しくなってしまう

いつか終わると 分かっていても 重い首筋

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へたくそなのは置いておいて、どうしてこういう嫌な感じの歌詞になってしまうのか。Amコードからはじまりそうである。

だれか曲をつけて歌ってほしい。

湯ざまし(個人サイト)
作成:とね(info アットマーク yuzamashi.net)